ジョー・バイデン米大統領の気候変動対策の計画が暗礁に乗り上げたかのように見えた緊迫した数カ月間を経て、ジョー・マンチン上院議員の予想外の方針転換により、2022年インフレ抑制法(IRA)成立の道が開かれました。世界第2位の温室効果ガス排出国である米国の気候変動対応にとってこれが何を意味するのか、Berenice Lasfargues(Sustainability Integration Lead)とThibaud Clisson(Climate Change Lead)が考察します。
米国史上最も重要な気候変動法案と言われる本法案には、医療や税制改革に関する重要な条項も含まれており、米大統領の署名による成立の前に下院の承認(形式的なものと見られる)を受けることになっています(8月12日執筆時点)。
バイデン大統領が最初に打ち出した数兆ドル規模の「ビルド・バック・ベター計画(Build Back Better plan)」ほど野心的ではないものの、この法案には変革の可能性が秘められています。当社では以前から、デフレ効果のある再生可能エネルギー技術への投資拡大を可能にするため、米国の重要な気候変動法案が今年中に採決されるだろうという見方を持っていました。[1]
この一連の法案には、以下に対する3,690億ドルのインセンティブが含まれています:
• クリーンエネルギー供給拡大
• 農業や工業の脱炭素化
• 新しいグリーン・テクノロジーへの投資拡大
• エネルギー効率化への投資拡大
• 低所得コミュニティの気候変動適応に対する支援
主な要素とその影響、例えば、クリーンエネルギーや電気自動車の普及への影響については、こちらにまとめておりますのでご参照ください。
法案がCO2排出に与える影響
米調査会社ローディウム・グループの当初の分析によると、この対策によって、2030年までに温室効果ガス(GHG)のネット排出量が2005年比で31%~44%削減されることが分かりました。これは、従来の政策下で予想される24%~35%の削減からは大幅に改善されるものの、米国のNDC(国が決定する貢献)目標である50%~52%の削減にはまだ遠いものとなっています。
例えば、新しい風力発電プロジェクトのリードタイム(稼働までにかかる時間)や、新型の電気自動車が市場に出回りすべての登録車がEVに移行するのにかかる時間などを勘案すると、インフレと同様、この法案が二酸化炭素排出量の削減に実際につながるまでにはタイムラグがあるかもしれません。また、再生可能エネルギー産業が直面しているサプライチェーン問題も、その展開に影響を与える可能性があるでしょう。
しかし、米国クリーンパワー協会(American Clean Power Association)は、この計画が米国のクリーンエネルギーへの投資を「加速」させるものと期待しています。同法案の性格は、ムチよりもアメの側面が色濃いものですが、従来のクリーンエネルギー減税との違いは、10年以上にわたる長い期間の「アメ」が設定されているという点であり、投資家にとってはるかに大きな確実性が提供されることになります。
短期的には、米国のエネルギー開発会社が2022年下半期に追加する新規発電容量は29ギガワット(GW)で、そのうちの50%が太陽光発電になると米国エネルギー情報協会(EIA)は予想しています。
エネルギープロジェクトへの妥協
法案の成立を確実にするため、連邦管理地での化石燃料(石油・ガス)開発の拡大について妥協案が合意されました。また、石油・ガスパイプラインの認可手続きの迅速化についても合意がなされ、アパラチア地方で議論を呼んでいるマウンテンバレー天然ガスパイプラインなどのエネルギープロジェクトが優先されることになりました。
こうした妥協により石油・ガス部門の排出量が増える可能性はありますが、今回の法案により石油会社に課される料率が引き上げられたことは注目に値します。オークションにおける入札の最低価格は、現在の1エーカーあたり2ドルから10ドルに引き上げられます。また、オンショア・ロイヤリティ(連邦管理鉱区内)は従前の12.5%から16.67%に引き上げられ、これにより排出量の増加は抑制されると見られます。
このほかにも、相殺する仕組みがいくつかあります。例えば、連邦管理地における新しい再生可能エネルギープロジェクトは、掘削権がオークションにかけられる時にのみ認可されます。
オフショアに関して、今回の法案では、メキシコ湾とアラスカ沖の海洋鉱区リース権の入札を今後2年以内に実施することが義務付けられました。
一方で、オフショア風力発電に関する明るい材料も含まれています。フロリダ、ジョージア、サウス/ノース・カロライナに加え、プエルトリコ、グアム、北マリアナ諸島、米領バージン諸島、米領サモアといった米領の沿岸を対象とする開発業者への規制が撤廃される予定です。
残された課題
今回の法案は下院を通過しなければなりませんが、多くの人はこれを形式的なものと捉えています。現在、クリーンエネルギーに対するインセンティブが拡大されていますが、6月に最高裁が環境保護庁(EPA)に対して下した判決では、EPAは議会の承認なしに米国の送電網によるCO2排出量を規制することはできないとされており、今後、政府による規制厳格化が制限される可能性も出てきています。
この判決は現在の軌道を覆すものではありませんが、州議会が再生可能エネルギー普及を促進する具体的な法律制定の意欲を削ぐことで、米国のエネルギー転換のスピードが影響を受ける可能性があります。
ただし、この判決が、再生可能エネルギーや蓄電池にすでに多額の投資を行っている一部の電力会社による既存の石炭からの移行計画には影響を与えないことは注目に値します。また、米国で新たに導入される太陽光発電や風力発電の設備は、ガスや石炭よりもエネルギーコストが低くなっています。
この法案の成立により、今年終わりに開催される第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP27)に向けて、米国が気候変動対応における信頼できる国際的なパートナーとして復活し、世界の気候変動対応にプラスの影響を与える可能性があります。
投資家の観点からは、今回の米国のニュースは、オーストラリアが2030年までに2005年比で43%の排出量を削減する法案を可決したこと、インドがNDCの更新を閣議決定したことと合わせ、米国だけでなく世界のクリーンエネルギー投資の機会をさらに大きく広げる可能性があるものと言えるでしょう。
<ご留意事項>
[1] インフレと様々なエネルギー源との関係については、‘Greenflation’ – Navigating the climate policy, oil price and inflation nexusの記事もご参照ください。
